2015年11月2日月曜日

想い出の靴 - REGAL Y902 -

「ボロボロになるまで着続けて、それでも捨てられない。そんな服を私たちはつくりたい」

いまから20年くらい前にファイブフォックスのカタログに書いてあったセリフ。
(現物が手元にないので正確な表現でないかも。だいたいこんな意味だった。)

モノに執着し過ぎるとモノが増えていき、結局は使わないモノだらけになるので、極力モノには感情移入をし過ぎないように心がけているのだけれど、当時この一節にはとても感動して、こうした作り手の想いを自分はどれだけ受け止めているのだろうという考えがずっと頭の片隅に残っている。

自分はモノを大切にしているのだろうか。
作られたモノが、その使命をきちんと全うするまで使いきっているのだろうか。


一時期、経済的にも精神的にも厳しい時期があって、これまで大切にしていた靴を何足もダメにしてしまったことがあった。
振り返れば、最低限のお手入れをしたり、もう少し大切に扱っていれば十分いまでもローテーションに残っていたであろう靴を何足も失うことをしていた。

その後、わずかばかりの余裕ができたとき、手元にはなんとかみすぼらしくない程度の靴が何足かと、どうしても手放せなかった靴が残った。

そのひとつ、リーガルのY902。
Made in Italy シリーズ。
当時でもたしか7万円くらいで、いまの感覚でいえば10万近いかもしれない。

特別な日に思い切って買った靴。
その日、とても嬉しいことがあって、その気持ちを一生涯忘れないようにという理由で購入。いまでもこの靴を見ると、その日のことが微笑ましくもあり、また恥ずかしくもあり思い出される。
履いた日の出来事に想い出がある靴は多いけれど、これは購入した日を想い出す数少ない靴。いくつか記憶にある履いた日の出来事はつらいことが多かったかな。

当時のリーガルにしては甲の抑えが効いていて(リーガルが作ったわけじゃないからかも)、いまでいうとインバネスに近い履き心地。長時間履くと中指が当たる感じも似ている。
イタリアというとマッケイ製法の軽めな履き心地の靴に強いという印象があるのだけれど、このシリーズはどれもグッドイヤーウェルテッドの手堅いデザインで、僕のイタリア靴のイメージとはちょっと違う。わざわざイタリア製を選んでこの靴ってところが、リーガルの海外製造シリーズって直球勝負だったんだなと。
定番のキャップトウだけれど、当時の店内では独特の色気を醸し出していた。

当時はこの Made in Italy シリーズと Made in England  シリーズがあって、どちらもクラシックなデザインの本格靴。その後シェットランドフォックス復活に影響を与えているように感じられる。

履き心地が良かったということもあり、ローテーションが高めだった。
雨の日も気にせず履いて、お手入れも不十分だったから、いまとなっては単なる古い靴のような印象だけれど、この靴はどうしても手放すことができない。
後悔とともにお手入れをしても、当初の輝きを取り戻すことはできなかった。
洗っても、クリームを塗っても一度失われたものは戻らない。

途中の手入れが悪かったので、細かいしわが無数に入ってしまっている。
ただ、ここまで細かくしわが入っていても、大きなクラックは1か所くらいしかない。
それはもともと使われている革が良いのもしれないし、たまたま購入後しばらくのていねいなお手入れが功を奏しているのかもしれない。

一度ていねいに水洗いして、クリームを十分浸透させるようにしても古傷が残る。
それでも、レノベイタークリームを中心にうす塗りを何度かして、トウ先には少し多めに重ね塗りをしたら、何とか味のある靴のように見えなくもなくなってきた。レノベイタークリームはこういうダメージの大きいときには安心感がある。この靴なりの良さを活かすように付き合っていきたい。

過ぎてしまった過去は変えられないけれど、いまから将来に向かってどうするかは自分の意志で決めることができる。
いまでは足を通すことはほとんどないけれど、自分への戒めとしてときどき履いて、ときどきお手入れしながら大切にしていこうと思う。




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くたびれてしまった靴にはレノベイタークリームをよく使います。これを少し多めに塗った後にクレム1925を使うと、結構きれいに見えてしまうことが多いので。

表面のちょっとしたしわ隠しならクリームで十分。今回は革への負担を考えてそこまで厚塗りせずにトウ先だけごくごくうす塗り。

4 件のコメント:

  1. 叙情にあふれて、とても素敵な文章ですね。私もこういうふうに、あとで振り返ったときに味わえるような、モノや人生を選んでいきたいです。もちろん、衝動買いも素敵ですけどね。

    Y902、雰囲気ありますね。トウ先の強めの輝きと、全体にうっすらと感じる赤みやムラ感、整ったシェイプと、最盛期の輝きが失われていてもこの色気とは、例えは不適切かもしれませんが、老境に差し掛かった洒落者の紳士、といった風情でありますね。

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    1. 「老境に差し掛かった洒落物の紳士」
      そう思ってこの靴を見るとまた異なった趣がありますね!

      そうなんです。この時期の海外製造モデルってどれも独特の雰囲気があるんです。
      その流れがシェットランドフォックスに受け継がれているのかなという気もしています。

      この靴は買った時からいままでのあいだ、いい時期も大変な時期も文字通り一緒に歩んできた靴で、思い起こすことがたくさんあります。
      これからも一つひとつを大切にして永い間に思い出を積み重ねていけたらなと思っています。

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  2. おはようございます。
    靴好きのshoe*さんでも手入れが疎かになるような時があったとは・・・。靴を見れば人がわかるという言葉を耳にしますが、靴の状態はその人の人柄のみならず、その人の精神状態までも端的に映し出してしまうのかもしれません。

    私も一足、自分への戒めとしている靴があります。
    就職活動時代から靴箱にいつもいる、最古参の靴です。ソールに穴があいたら新しいのを買っていたので、履かない期間も長いのですが、捨てるに忍びなくずっといました。靴に興味を持ち始めてから修理できることとローテの必要を知り、修理に出して現役復活させました。修理に出して靴底や踵、中敷などはきれいになりましたが、アッパーだけはどうにもなりません。クラックというよりひび割れと表現すべき傷みが目立つ状態です。靴を疎かにするとこうなるという見本として、他の靴はこうならないように扱う決意を忘れない為に、いまでも時折履いています。

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    1. 仕事が忙しくて朝から深夜まで働いてへとへとになり、靴を構う時間的なゆとりもこころのゆとりもない時期がありました。
      靴を見ると人柄が解るというのは、最初に手を抜きやすいのが靴だからなのかもしれません。
      ブラシをかけるひと手間、クリームを塗るちょっとした時間を持てない余裕のなさがすぐに表れます。

      私は就職活動からフレッシュマン時代の靴はもう手元にありません。
      当時もそれなりに大切に扱っていたのですが、サイズが少し大きすぎたということもあり5年くらい履いた後に手放してしまいました。
      いま思えばバカなことをしたと思うのですが、そうした自分の経験からも大きすぎる靴を買ってしまう人の気持ちもわかります。

      就職活動時代の靴を大切にいまでも履かれているということはとても素敵だと思います。
      別のコメントでtakumatさんが永く履いた靴の色気について書いていただきましたが、古い靴はその人の歩んできた道も表現されていると思うと、クラックやひび割れもまた革靴だからこその良さなのかなと思い、それはそれでありなのだろうという気がしてきました。

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