2022年12月30日金曜日

Arch Kerry S-1421 ALGONQUIN

Arch Kerry(アーチケリー)のVチップ、Algonquin(アルゴンキン)

もうだいぶ前に買ったのですが...


最近は既製品の展開もあって、日本の靴ブランドのトップランナー一角を占めるアーチケリー。そのMTOモデルです。


履き心地のファーストインプレッションは

「とても柔らかく軽い」

僕のグッドイヤーウェルテッド製法のイメージは、とにかく重くてごつくてだからとっても丈夫、みたいなところがあって、それは若い時に見たリーガル広告の印象を引きずっている。
これまでも当のリーガル2504NAやらRENDOやら、どれもこれも履きはじめが堅くて、それが履きなれるにつれて自然な履き心地になってくるなんてことがあたりまえだったために、革靴とはそういうものだと思い込んでいた。

グッドイヤーウェルテッドの革靴で、履き始めがこれまでにこれほどに柔らかく、軽いものは初めてだ。
頑丈だけれど重くて、履きはじめはカチコチだけれど、マメを作りながら文字どおり血のにじむ思いをして足に慣らしていくというイメージとは対極に位置する靴。

同じ柔らかく軽い靴である靴下のような感覚に近いソフィスアンドソリッドとも違う。アーチケリーは柔らかいものの明らかにグッドイヤーウェルテッドな履き心地。つま先から土踏まずのあたりでしっかり感じ取ることができる。僕の表現力だとこうとしか書きようがない。

この軽い履き心地は薄手に仕上げられている大東ロマン社のレージングカーフによるものなのか、ソールも含めたパーツひとつひとつの素材なのか、それとも製造のTate Shoesの作りこみなのか、とにかく履いているとグッドイヤーウェルテッドで作られている新品だということを一瞬忘れてしまいそう。ソールの返りも自然で、アッパー側も変に力がかかっている感じがない。


新しい靴を買うと、きつい場合はかかとや小指にダメージがでたり、緩めの場合は薬指の裏側に水ぶくれができたりくるぶしを痛めたり(これはパターンにもよる)することがあるけれど、そんなことは一切なかった。ありがたい。

もう歳も歳(50近いので)だし、固い靴を足になれるまで履き続けるよりは、ある程度最初から足なじみが良い履き心地を意識して選んだということも大きい。中年以降の人が4Eなんていう靴を履きたがる気持ちもわからないでもない。もちろん、無駄に大きい靴を履いてしまうと靴の中で足が動いてかえってダメージになるので、きつすぎず、緩すぎず、柔らかな履き心地というのがおっさん靴選びの案外重要なポイントかもしれない。


改めて僕が語るまでもなく、アーチケリーはアメリカンビンテージを現代に再現した靴。表面的な形のレプリカではなくて、アメリカ靴の文化や思想に基づいて、いったん時計を巻き戻したうえでその当時の考え方に立って素材や作りこみなど細かい部分をできる限り近づけることを極限までに意識して再現された靴。

アメリカ靴というと日本ではIVY影響が大きいのか、オールデン人気が大きいのか、2235NAがインパクト強いのか、ごつくて大きめの靴がイメージされやすい。
一方で、パークアベニューに代表される米国産ドレスシューズメーカーであるアレン・エドモンズによる美しいドレスシューズも存在する。

グッドイヤーウェルテッド製法がアメリカで発明されたのはよく知られているところ。チャールズ・グッドイヤー・ジュニアによっていまから150年近く前に発明されたこの製法により、現代において美しいといわれている靴も作られている。古き良きアメリカには十分に美しい靴を作る技術と文化があって、それをいかに量産できないかという工夫が、この製法を生み出した。

ビンテージ靴が実際に作られた年代と現代とでは技術的・経済的背景によって現実的に再現することが難しいところがある。当時の機材や工具がもう作られていなかったり、材料はもはや同じものを再現する技術が無かったり、いまでは市場が小さすぎて誰も作らないなんてものがあったりで、完璧に同じものを再現するのは難しいそうだ。アーチケリーでビンテージ靴を再現するにあたって、紐の質感が同じようなものをそれこそ足が棒になるまで探してみても、いまのところビンテージ靴に採用されているものと同レベルのものは見つからないとか。

こういう歴史的な教養は実際にそれを好きな人には到底かなわない僕にとっては、アーチケリーの再現性というよりは、完成された靴としての履き心地についてだけ感じることができるのだけれど、わかる人にはたまらないでしょうね。


僕の足はラストを作る際に想定していたものよりも外側が薄いのか、少しばかり羽根の位置がずれる。それでも甲が低めに設計されているようで、紐をきっちり締めると足と一体化している感じがする。これは柔らかめなつくりも貢献していると思う。

Dウィズといわれる甲周り、幅が細いというよりは甲を低くしていて幅はそれなりに取られているようにも感じる。丸っこいヨーロピアンの足型よりは、少し平べったい足に合うような気がする。

アルゴンキンに採用されているスプリットラストに関していえば甲が緩くて締め付けが弱いという状態になる人はごく少数ではないかと思う。紐がちぎれるくらいに思いっきり引っ張っても羽根が閉じることはないし、たとえソールが沈み込んでもこれが閉じきる気は全くしない。サンプル履いてそれでも緩いならせっかくのMTOなら羽根の形状を少し短くするとか外に数ミリずらすとか、紐を通す穴をオフセットしてもよいかもしれない。(デザイン的にOKかどうかは知らない)


アーチケリーのサイトや各種情報をみて履き口が少し大きめかと思っていたら、実際にはインバネスあたりと同じ感じでそれほどでもなかった。タンが少し短い分足首に刺さるような感じはしないので、それも自然な履き心地につながっている。

僕は01DRCDだと24がちょうどの履き心地を感じる人で、アーチケリーは6をチョイスした。気持ち大きめな気がしたけれど、この靴は休日履き前提のざっくり感を優先してみた。休日に履く厚手の靴下や履く頻度、残された履く回数を想定して選んだサイズではあるものの春夏薄手の靴下考えるとハーフ落としてもよかったかもしれない。購入時に試し履きした限りでは5.5のほうがいつのもの靴に近い感覚だった。

外羽根の靴は特にそうだけれど、靴のサイズというのは全長だけではなくて足周やボールジョイント部分とのバランスもあって、この2点でしっかりホールドできれば多少の長さ違いはあまり気にならないのも事実。Width細めの靴を買うときにハーフサイズ上げるという提案がなされるのも、そんな理由だと思う。

これまで僕はタイト寄りが好みだったので迷ったときは小さめを選択して、多少足が痛かろうと履き馴らすことで靴の形を変えてきた。
もうこれ以上靴を買わなくても一生持ちそうな状況で、ターンオーバー機能が衰えてくる年齢にもなると初回からの履き心地を求めてしまってサイジングに対する考え方が変わってきた。いまでも若い人は少しピッタリサイズを選ぶべきだという考え方は変わらないけれど、自分より年配の人に勧めるならばもうすこし力入りすぎない選び方がいいのではないかすら思い始めている。


初回のお手入れはサフィールノワールのレノベイタークリームを塗った後にニュートラルのクレム1925を何度か薄塗り。

レージングカーフはすぐにツヤツヤ光るというよりは、少しばかりじっとりしつつも少し引いてみるとサラッとした仕上がりになる。この革であればレノベイタークリームだけでも十分にも思える。クレム1925を塗ったのは購入当初の保護的な意味合いが強い。防汚と防水みたいな。

同じデザインでもコードバンで作ったのであれば徹底的に光らせたほうが格好いいでしょうね。レージングカーフはつま先やかかとだけ光らせるような立体的なほうが似合いそう。僕はこの靴は休日の少しくだけたカジュアル専用なので、あまりテカテカさせずもともとの素材感を活かすようにしている。

仕上げが薄手ということもあって、初めからすごくしなやかな革。タンを触ってみるとカチコチ感が無くとても柔らかい。この革で靴を作るのは結構難易度が高いのではないかな。芯をしっかり入れないと型崩れしそうだし、だからといってむやみに入れてしまうとそれこそ芯が浮き出る硬い靴になってしまう。

ロットによって色合いが少し違うというのも良くとらえると楽しみな部分。今回のうっすら赤を感じられる茶色を維持するためにも、しばらくたったらクレム1925のエルメスレッドのような少し赤みのある色付きクリームを使ってみよう。

イカともよばれる独特のソール形状は、履いてみると気持ち安定感があるような気持ちになるのが不思議。かかとがオリジナルのラバーヒールで、ここに関しては履いている限りは絶対に気づかれないところではあるものの、ヒールをオリジナルにするあたりにアーチケリーの矜持を感じる。こういう型を用意してオリジナル品を作ろうとするとそれなりのロット頼まないと単価上がっちゃうし、その分ロッド頼むと今度は在庫が積みあがってしまう。

そんなソールにはBoot Blackのソールコンディショナーを軽めに塗っておいた。


アーチケリーの靴って、それこそ革靴は痛くて...とか言っているご年配の金持ち層にこそ教えてあげたい。

パターンオーダーで1足10万円を超える価格というのは、一般的なサラリーマンお父さんにとっては高根の花という気がしないでもないけれど、資産10億円を超える層にしてみれば足に合う靴が10万円で手に入るのだからいい買い物ではないだろうか。

そこまでいかなくても、企業勤めである程度出世した人で、スーツスタイルが好きまたはそれが必要な人にとって、こういう履き心地が良くどこに出しても安心なオンからオフまで対応できるアーチケリーは選択肢の一つとして十分検討に値する。

よくあるスーツの金額指南みたいなところでは部課長クラスで10万円なんて記載がある。スーツに10万円かけるなら靴にも10万くらいかけてもよいと思う。そんなサイトではなぜかスーツより靴のほうが安価な提示がされている。赤タグゼニアしか着ないような人ならば結果としてそうなのかもしれないけれど、量販店~パターンオーダーくらいまでのスーツであれば靴の価格を上げたほうが文字どおり印象の底上げになる。

僕が知る限りのニッポンビジネスシューズのベストバイであるリーガルの01DRCDが4万円で、これさえ履いていればスーツがツープラであろうとTROFEOフルオーダーだろうと問題ナシなので、そもそもスーツと靴の金額比を出すこと自体が無駄活動に思えてならない。


きちんとしたつくりの靴のメリットは適切なお手入れさえすれば案外長持ちすること。適切なローテーションをする前提であれば革靴は10年以上持つこともあり、50歳以上の人であればアーチケリー2足を手に入れて残りは手持ちの靴でローテーションしたらもう一生靴を「買い替える」必要はない。買い足すたびに靴が増えるだけで、ますますローテーション頻度が長くなり捨てることはなくなる。


アメリカンビンテージの再現へのあくなき追及がこのブランドの大きな差別化。
レプリカではなく、再現によって現代に持ち込まれたデザインはわかる人にはド刺さり状態で、それがこのブランドを支持する人の声に表れている。

僕のようなそういう教養があまりない人間にとっては、この靴のもう一つの側面で履きやすさや細かい作りこみ、パターンオーダーの自由度には強く惹かれる。世界中探せばこの靴に近い履き心地を実現する靴はあるのかもしれないけれど、手に入れやすい既成の靴しか履いたことがない僕にとってはこの靴は唯一無二の履き心地で、それこそ快適だった。

次々に買い足しできるようなものではないけれど、想いをあれこれ言いながら靴をオーダーする楽しみまで含めて考えたら十分に満足度が高いものだった。


これ、グッドイヤーウェルテッドの靴なんですよね。

アメリカンとかブリティッシュとかそういう話はいったん脇においておいて、革靴を「履きたい人」も「履かなければならない人」も、すべての人に伝えたい、

革靴が痛いのか、痛い靴がたまたま革靴だったのか。革靴を履くのなら、まず試してみる価値がある靴がありますよ、と。

靴は履いて歩いて(走って)なんぼであるので、履き心地というのは実際に終日歩いてどうかというのが僕にとっては大きい。静止状態で「収まりがいい」とか「かかとをつかんでいる」とかはどうでもよくて、実際に歩いたらどうか、それも50回くらい履いて靴が落ち着いた段階でどうかを大切にしていた。それまではマメができようが血が出ようがそういうプロセスが大切だとさえ思っていた。

それがいまや新しく購入した休日用の靴を50回経過するのはいつだよ、という年齢になってしまった。そうなるともうカチコチの靴よりも、あたりのいい靴のほうがありがたい感じで、履き心地はそれこそ10回目に履いたあたりを完成形の基準としたくなる。

アーチケリーはとにかく足へのダメージが少ない。まだ履いた頻度が少なすぎるので雨の日晴れの日履き続けた時の耐久性は未知数だけれど、いまはこの履きはじめから快適な履き心地こそが価値だった。

アーチケリーの良さはどこにあるのか。
僕にとっては「履いて歩く」という靴としての本来の目的に寄り添う雰囲気が感じられた靴なんだということに気づく。

世の靴好きといわれる人たちがこぞって評価するアーチケリー。この靴がそれこそビンテージになるくらいまで大切に履いていこう。

2022年1月24日月曜日

REGAL 01DRCD - 10 years have passed

01DRCDもほぼ10年。

2013年に購入してから、晴れの日も雨の日も、時には雪の日にも、長期出張時のヘビーローテーションにも負けず頼りになるビジネスツールとしていつも傍にあった靴。

平均的には1週間に1度くらいの登板をしている。洗って乾かしている期間とか、新しい靴を買って登板頻度が減った時期を考慮して控えめに考えても300回以上は履いている。

ソールに穴が開いたら張り替えようと思っていても、かろうじてまだ開いていない。この間にはつま先の補修をしたくらいで、本格的なリペアのお世話になることもなく10年持ってしまった。かかとも異常なほどに減ることはなく、ほつれたりはがれたりしてくることもない。同じようなローテーションをしていたインバネスのほうが先にソールを張り替えたので、01DRCDのほうがなんだかんだで持ちこたえている。

細かく見ていくと、アッパー側はクリームの蓄積なのか光り方が少し人工的っぽくなっていたりクラック出ていたりで、コバも歪んでいる。内部に至ってはもうボロボロ感が出まくっている。

このくらい履きこんでしまうとソールの返りなのかフットプリントなのか、とにかく靴全体の形が足と一体化してくるのでかえってソールを交換したくなくなる。ほぼ無敵の履き心地である01DRCDをオールソールしてしまうことで一部がリセットされてしまうくらいなら、ソールが壊れて物理的に履くことができないという状況になって初めて修理でもよいかな。


サイトはSNSでもこの01DRCDの良さが語られていることも多い。

ある程度靴のお手入れはしてきたつもりだけれど、どちらかというと気が向いたときにやっている程度。
いろいろなサイトで見ると結構ていねいにお手入れされている靴が出てくることが多く、それに比べると自分は扱いが雑だなぁと毎回思う。

そんな扱いなので出張時にはほとんどお手入れせずに3か月くらいヘビーローテーションということもあったけれど、10年はきちんと持つ作りになっている。
すごくていねいに履く人であれば、本当に15年や20年持ったとしても不思議でもなんでもない。
300回って、毎日同じ靴履いても営業日ベースで1年半近くなる。半年に1度履きつぶすような靴選びを10年続けるよりは、10年履ける靴を5足かってローテーションのほうがいい気がする。


この靴はブログでもときどき書いていたのでそれぞれの頃の扱いと状態が残っている。
当初は比較的ていねいにお手入れしたり洗ったりをしていた。
中盤になると履き心地が完成されてきて、とても歩きやすい靴に。このころはブラシ掛けと本当にたまにクレム1925を塗るくらい。
最近もお手入れは同じ傾向だけれど、クラックも入ってきたので少しデリケートクリームなどを入れたりしてこれ以上壊れないように気を使っている。


いちばんのダメージが大きいソールについては、適度(3ヵ月に一度くらい)にソールコンディショナーを入れてソールが締まっているためか、かなり薄くなってきた感があり、そろそろかもしれない。

屈曲が厳しいところはひび割れが大きい。ソール全体では踏み固められるくらいが稠密さを保つことができるようで、とにかく雨に降られたら適度に乾かしソールコンディショナーを塗ったら気兼ねなくまた外を歩き回ればよいようだ。

つま先は何度かメンテナンスしてしまっているので少しダメージが多かったのか裂け始めてきてしまっているので、さすがにソールはそろそろ限界かな。

アッパー側はどちらかというと表面が少しヤレてきたという感じがする。
数年に一度くらいの頻度で靴を洗っていたためか、つま先が少し色落ちしてしまっている。
通常利用では黒のクレム1925を入れているので目立たないが、ちょっとお手入れをさぼっていたり、クリーナーで古いクリームを落とそうとすると目立つ。
僕は鏡面をしない人なので、つま先にクリーナーを使うといってもボコ染みだらけになって塩を吹いてきたときにぬぐう程度。
暑い日寒い日雪の中でも履いていたため、靴にとってはダメージ大きい環境だったからアッパー側も少しくたびれてきていてもおかしくない。

ソックシートと内部は結構ボロボロ。

やはり靴の内部は湿気が多いので内部の補油(加脂)も少しは意識したほうが良いかもしれない。(洗った後のメンテナンスが悪かっただけかもしれないけれど)
塩分抜きと汚れ取りを兼ねて、おしりふきのようなほぼ水しか入っていないウェットティッシュできれいにして、軽くデリケートクリームみたいなものを入れておいたほうが良いのだろうか。
なんとなく、靴の中にクリームを入れると菌のエサになりそうで、水洗いしたときの油分補給以外でのデリクリ投入は少し気が引けてしまう。


さすがにいろいろとボロが出てきていて、僕の技術だとこのあたりまでが見た目の雰囲気を維持する限界かな。

とはいえ、10年間もビジネスの道具として第一線で活躍してきた靴であり、(週1回くらいの登板なら)「まともな革靴は10年くらい持つよね~」という証拠品でもある。手持ちではほかにW131とかW134とかふだん履きしているものの中で年数だけで見ると先輩格の靴はあるけれど、こちらは01DRCDよりやや登板頻度が少ないのでもう少し状態が良い。月に2、3度の登板なら10年なんてまだまだで、20年くらいは持つだろう。

出た当時は「REGAL得意のとりあえずモデル」だと思っていたものの、いまだに終売されることなく販売されている。
途中プレーントウタイプがあったのに、そちらは気が付いたら終わっていた。ちょっとだけノーズ変えてタンナー変更した靴は、さてどれだけ続くか。01DRCDの完成度があまりにも高いので、逆に中途半端なキャップトウがかえって格好悪く見えてしまう。

昨年後半に The Master Regal というものが出てきていたけど、1店舗ワンサイズのみなんて言う靴好きホイホイなモデルで無駄にお客様を店舗に呼び寄せるなんてのはメーカーの都合。顧客志向とは思えないようなマーケティングの意図が良くわからない。いい靴が売れるわけではないが故にいい靴が宣伝でしか使われなくなってしまうのもなんだか残念。

01DRCDはそれこそマスターピースなのではないだろうか。ビジネスでも、冠婚葬祭でもこの靴一足あれば「きちんとした」場所でこんな頼もしい靴はない。供給量も豊富に見えて、それこそ欲しい時に手に入る。

リーガルが本気出してよい靴を作ってしまうと4万円でここまでできてしまう。これだと競合はよほどエッジの聞いた立ち位置にしないと価格では勝負にならない雰囲気。
スコッチグレインの価格もリーガルと同じで、それなりのスケールで販売が見込めれば、4万円で何年もはける靴を作ることができる。
後者は履いたことがないけれど、安易に価格を上げないで定番をしっかり売り続けるきわめて良心的な商売をしていると思う。

SDGsやらカーボンニュートラルなんやらで、「牛」自体もやり玉に挙げられる今日、ただでさえ生活スタイルの変化で利用者が減ってきた本格的な革靴は結構苦境かもしれない。
ただ、食材の副産物からできていて何百回も履くことができる革靴は、大量消費とは真逆のエコな道具なのではないかと思ってしまう。革が欲しいが故に牛が育てられるという話は聞いたことが無く、仮にあったとしても無視できるくらいの規模だろう。

天然皮革は長持ちするが故にサスティナブルだと主張する人たちもいる。これまでよりもカーボンフットプリントが小さい天然皮革の開発も進んでいる。
革靴に限らず、結局のところ一つのものを大切にするということは環境面でも経済面でもそれ以外の面でも良いことが多いのではないだろうか。仮に製品製造の環境負荷が10倍だとしても、利用期間が20倍いくならばメンテナンスコストを入れてもまだまだ分がある。

と、いろいろと革靴を取り巻く環境もありそうだけれど、そういう話は抜きにして大切に使うということ自体が気持ちいい。
10歳の01DRCDをお手入れしながらあらためてそう思う。

2021年4月1日木曜日

靴クリームの比較 - Boot Black と Boot Black Silver Line その後 -

もうずっと前になってしまうのだけれど、W134でずっとやっていた Boot Black(ブートブラック)と Boot Black Silver Line(シルバーライン)の比較。

大きな違いはないような気がする。


この靴自体はそれほど登板機会がないので、クリームをしっかり入れて磨くのは年に数回程度、なので、始めてからいままで合計しても十数回程度しかクリームでお手入れしていない状態。

当初、シルバーラインのほうが青みが強いブラックだとわかったものの、別に靴が青くなるわけでもなくいまに至る。(当然)

結論としては素人には見た目レベルではよくわからないというところだった。

シルバーラインの左足。
ブートブラック(黒蓋)の右足。

区別つきません。


細かく見るとシルバーラインのほうが気持ち光が鋭く、ブートブラックのほうが表面のテクスチャー感を残す仕上がりな気はする。これはクリーム自体の成分的なものよりも、もともとの硬さによるところが大きいと思う。硬い分ワックス効果が大きくなるみたいな。ていねいにブラッシングとからぶきしてしまうとその差は誤差という程度になる。

ブートブラックの黒蓋は固形のワックス掛けまでやるような向きもターゲットなので、柔らかめのクリームはどちらかというとじっとりと浸透させる方向で、まずは浸透するようなじっとりとした仕上がりにして、ぱっきーんな光り方はワックスに任せるという意図かな。

逆にシルバーラインはこれ一本のオールインワンを狙って、クリームだけでもなかなか光っている感覚が得られるような作りのため、少し硬めに作り上げているのではないかと思われる。

素材自体はブートブラックのほうが高価なものを使っているようだけれど、実用上はシルバーラインでも全く問題がないので、単に仕上がりの好みで選んでもよいという程度かもしれない。

細かいこと言えば靴のお手入れが趣味みたいな人はブートブラックのほうが楽しめるだろうし、どちらかというとお手入れにそれほど時間をかけない人にはシルバーラインのほうが向いている。このあたり、やっぱりもともとの製品コンセプトどおりで、靴のお手入れをこれから始めるような人にとってはシルバーラインのほうが無駄に塗りすぎることもなさそうだし、容易にいい感じの仕上がりが得られるはず。


同一メーカーが同じような目的のために作っている製品なので、基材についてはある程度共有しているところもあるだろうし、一定の品質基準なんてのもあるだろうから、短期的な見た目や使い勝手は変わってくるものの、長期的な保革効果にはそう差がないのかもしれない。

Boot Black に関して言えば、素人がちょっと靴お手入れしています程度の頻度や量ではほとんど効果に差がない。もしかするとワックスをしっかり塗って仕上げると、そのベースとしての感覚は大幅に異なるのかもしれないけれど、ふだんはクリームオンリーなんていう場合はどちらを使っても困ることがない。

もし僕がおすすめをするような立場であるとすれば、どんな靴クリームが良いかを聞いてくるような人にはシルバーラインを薦めるくらい。黒蓋買うような人はわざわざそんな質問してくることないので。

逆に、お手入れが趣味の人が試してみるなら黒蓋のほうがいい。仕上がりの足りない部分は自分で補える人にとっては、多少顔料多めのクリームは靴の表情をはっきりさせやすくほかのアイテムと相性が良い。


長期でやってきたクリーム比較は同一メーカーだとあまり面白い結果にならなかった。
この先も大きく変化するとも思えないし、これからはアーティストパレットでお手入れしよう。


2021年3月3日水曜日

Arch Kerry - Algonquin Split Toe Blucher Oxford

靴好き界隈ではいまいちばんホットともいえるブランド「アーチケリー(Arch Kerry)」

(写真が影になっていてへたくそですが...これはオーダーと同型のサンプル)


仕事で履く靴はもう打ち止めという感じなので、オフ寄りできればオンでも、という靴を新たにオーダーしてしまった。納品は4か月後あたり。

Arch Kerry Algonquin Split Toe Blucher Oxford、通称アルゴンキン。Vチップと呼ばれることも多い。


Arch Kerry についてはこのブログを見ているような人であればすでにご存じだとは思うものの、少しだけ。

アメリカンビンテージにこだわるあまり、履いていたら気づく人はまずいないであろうラバーのヒールをオリジナルで作ってしまったり、言われなければこちらもまた気づかないであろう靴紐までコットン100%のオリジナルにしていたりなど、見えないところ、気づきにくいところまでも徹底して追及する、そんなブランド。

製造を担当としているTate Shoesさんとしては、もはやこの作りになるとハンドソーンしたほうが早いのではないかという状態なのに、ビンテージはグッドイヤーウェルテッドなんだからわざわざリブ寝かせて機械通すとか、現代ではなかなか手に入りにくい色や質感を実現するためにタンナーに足を運び毎回色の確認をして最終仕上がりのイメージを毎回考えるとか、とにかく自分の思うものに妥協をしない靴づくりに対する熱意が伝わってくる、そんなブランド。

とはいえ靴は履くものだから、木型にもこだわり、特にかかとのおさまりを重視してラストを工夫したり、スマートに見せるために履き口を少し大きめにしたり、ハンドプリッキングで見た目のわかりやすい雰囲気も大切にする、そんなブランド。


単にデザインを再現するのではなくて、そのコンセプトや意味までを再現してしまうアーチケリーにしてみれば、ラインナップに入れているナイロンメッシュの素材感はまだ当時を完全に再現できる域にはいっていないということだし、靴紐についても目の細かさがまだまだ粗くて、当時と同じ細やかさのものは日本では見つけられていないとのこと。

アメリカンビンテージの再現にあたっては、表面的な形をコピーするのではなくて、その時代考証も含めて数多くの資料にあたられていて、そのうえでステッチ一つの意味、素材の意味などを考えて企画されているそう。

ほかの革製品についても当時はどういうものを使っていたのかも調べているのだけれど、靴以外は資料が足りなくてきちんと時代考証ができないことが悩みだったり、財布などの小物系はその時代に必要とされた機能による作りがなされていて、そのまま再現すると現代では意味をなさないものになってしまったりと、いろいろ難しいらしい。

ここまでいくと「再び現れた」という「再現」という文字どおりで、その時代の一部が切り取られて現在にタイムスリップ、そこで単に作っている側から見ればごくごくあたりまえの靴を作っていることと同じとしか思えない。シンプルにオリジナル。


僕が購入する前にすでにご購入されている方々に、日本の革靴界隈での超有名人が多いということは、単なる話題性だけではなくて、それに裏打ちされるプロダクトの群を抜く立ち位置があるからこそ。

正直なところ、単に革靴を履いている人レベルの僕にはこの靴の意味や本当の良さなんて解っていないなんてことには気づいているものの、靴好きが自分の作りたいものを徹底して作ったというストーリーにわくわくしてしまう。そう、機能を中心とした道具を買うのではなくて、大げさに言えば文化や歴史に投資する感覚すら感じてしまう。


とはいえ、10万円レベルの靴なので僕にとっては気分でホイホイ買える靴ではないのもまた事実。
「欲しいけど、やっぱり手を出せないな」という気持ちでずっといたものの、ちょっとしたきっかけがあり「頑張れば手が届くし、やっぱり欲しい」に変わってきていた。

RENDOが始まった頃もそう思ったのだけれど、本格的な革靴が衰退するのではないかと思われるこのニッポンで、世界に通用しようとする革靴を企画し、作っている人がいて、それが自分の目の前にあって、なんとか(かなり)頑張ったら買える価格で手に入る。

そういう靴ってものすごくわくわくしないだろうか。安藤坂に行けばそういう作り手の声を聞きながら靴を選ぶことができる。ステッチ一つ、靴紐ひとつまで作り手の熱い思いを聞きながらどれにしようか選べるなんて、国内でそんな体験はジョン・ロブでさえできない。


デザインはいわゆるVチップ。アーチケリーでいうところのアルゴンキン。
40代以上であれば、若いころにAldenのコードバンVチップにやられちゃっているひと多いのではないだろうか。ほしいほしいと思っていても、結局手に入れられずいつの間にか歳とっちゃいました、なんて人いないだろうか。

全体の印象を決める素材として僕が選んだのは大東ロマン社のブラウン。直近の仕上がりは気持ち赤味が差したダークブラウンという感じだとか。この手の茶系は自然素材だけに毎回きめの細かさや色合いなどが微妙に違うらしい。それを「あたり」だとか「はずれ」だとかいう月並みな言葉ではなくて、個性としてどれも楽しめるところがアーチケリーの楽しいところでもある。

サンプルを触れた感じではいわゆる国内メーカーが使っている国産キップに比べると遥かに薄手に仕上げられていてとても柔らかな印象。試作段階ではイタリアの革なども試してみたが、大東ロマン社のカーフにたどり着いたそう。クリームをよく吸う革なので染料などによる変化も楽しめるとか。せっかくだから手元に来たら少しだけ色合いの違う染料系クリームを使って楽しんでみようか。

ラストはDウィズということになっているが、芯の入れ方や素材で使われているカーフそのものの柔らかさによって窮屈さを感じない。

サイズ把握のためのサンプルシューズは内羽根で、今回のアルゴンキンは外羽根なのでおそらく完成時点でのフィッティングは違ってくる。アルゴンキンのラストはつま先が少しゆとりあるつくりという話もあるので、どう出るか楽しみでもある。

試着した感じでいうならば、サイズ感はシェットランドフォックスのケンジントンあたりに近い。ただ、実際に数字無視して足入れしてみるといいかも。かかとの包み込みや甲の外側のフィット感を感じるのは少し小さめのサイズにしたとき。サイズバランスが良かったこともあるのか、かかとのおさまりはこれまで履いた靴の中でもトップクラスどころか明らかにトップ。

コバの仕上げはホワイトステッチナチュラルトップを選択。

こんな色。
ビジネスユースを考えるとブラウンの糸にしてコバも塗りつぶすのだろうけれど、カジュアル用途にはこっちのほうが圧倒的に格好いい(と思う)。
当然目付はハンドプリッキング。3月以降の改定でハンドプリッキングが標準化されるためあえてこのオプションは外そうかどうかちょっとばかり悩んだものの、やっぱり実物目にするとやりたくなってしまったので。

アメリカンビンテージという位置づけとしてはキャンバスライニングで、それはそれで格好良いところもあれど、内側が破れた時のメンテナンス性などは革に一日の長があるということだったので、超長期ユースを考えている僕はそのあたり踏まえてライニングはレザーを選択。


今後は2235NAのようなウイングチップや、Alden 990 のようなプレーントウも作ってみたいとのこと。そういえばアメリカではAlden 990、イギリスではシャノン、日本では2504みたいな少しぽってりしたプレーントウって息長い。
(しかもどれも素材の違いはあれテカテカしているモデルというのも共通)

休日に2235NAなどを履いてはいるものの、僕自身は実はアメリカンビンテージよりはブリティッシュクラシックが好み。そんな僕に新しい世界を見せるための神さまのちょっとした計らいなのか、ひょんなご縁がありアーチケリーの靴を手に入れることになった。

僕はいつの日か息子とおそろいで2235NAを履くことが夢のひとつで、そんな話をディレクターの清水川さんに話したところこんな一言が。

「リーガルで無くなってもアーチケリーで作りますよ」

僕の中でアーチケリーが「買いたい靴」から「買う靴」に変わった瞬間だった。
うん、息子がちゃんとした革靴を履くようになったら今回購入したアルゴンキンでお揃いにしよう。


アーチケリーはアメリカンビンテージを推しているとされているけれど、実は推しているのは「アメリカンビンテージそのもの」ではなくて、「好きな靴を現実化する楽しさ」ではないかと思えてならない。その一つの形として、清水川さんは自らが使命感とさえ考えているアメリカンビンテージの次時代への継承という「こだわり」をアーチケリーというブランドの製品を通じて見える化しているのではないかと。靴の形という外形的な分類だとアメリカ靴ということになるだけれど、では、いま店頭で売られているジョンマーやアレンと同列の靴を日本人が作った、というとそれは違う。そもそも勝負している分野が違う。

アーチケリーは単なるレプリカとしての靴を売っているわけではない。

僕にとってアーチケリーはもちろん歩くために履く靴という道具の面はあれど、それだけではない。靴はこれからたくさん積み重なる想い出を詰めていく入れ物でもある。家族の想い出、仲間との想い出それぞれの瞬間をともにする靴だからこそ、機能性や数字だけでは語れない「何か」を感じる靴であることが大切なのだ。

靴を10足以上持っている人であれば、11足目、12足目、13足目に買おうとしていた靴をちょっと後にして、その3足分の予算をもってアーチケリーの門を敲くのも有りではないかと強く思う。靴に対する考え方、単なる既成靴を超える細やかなつくりはもちろん、オーダーの際の会話によってよい革靴の基本について学ぶことができる。

比較的お金が自由に使える若手にもありではないかと。不透明な時代で手堅くお金を残すという選択も悪くはないけれど、将来の投資とみてボーナスの一部を使えば手に入れることができる。単に商品としての靴を買うのではなく、日本の靴界隈の有名人の心をつかむ靴をプロデュースする人の話を聞けるというサービス付きで靴を選ぶことができるなんでいまのうちだけかもしれない。いまなら著名人のClubhouseでも聞けない「濃い」話が聞けるかもしれない。


お客様がこの革で作ってほしいといえばできる限り持ち込み対応も考えたいという驚きの発言もあるくらいなので、ステッチやパイピングなどのデザインもある程度は希望に沿ってくれる。

ディレクターとして自分が妥協せずに目指して作り上げたデザインについて、いろいろな人が好き勝手に手を入れるのはどう感じるのかと尋ねてみたら、自由に楽しんでもらえればという回答だった。この安藤坂コインにアーチケリーのユーザーが集まって、みんなでそれぞれのこだわりをあれこれ言い合ったり、思い思い好き勝手に「こんな靴どうだろう」みたいな話ができたら面白いですね、なんて話で盛り上がった。


自分の好きなことに対して徹底的にこだわることに楽しみを見出した人だからこそ、同じように自分の好きなようにあれこれ考える人の気持ちに共感できる。安藤坂の一角から始まったブランドの想いや志は、果てしなく大きい。

2020年6月19日金曜日

クールビズでのシャツ選び

クールビズのビジネスシーンではどんな視点でシャツを選ぶのが良いのだろうか。

オフィスのカジュアル化に加えて、新型コロナウイルスによる在宅ワークの奨励などによって、スーツを着る機会はどんどん減っている。
そもそも「クールビズ」なんて施策がヒットしてしまったものだから、もはや基本のスーツスタイルは崩れまくっている日本の夏ではジャケットを着ている人なんてほとんど存在しない。

そんななかで「シャツ」はインナーの枠を超えた意味を持つようになっている。

「シャツは下着~」は「cultureとcultivateは~」と同じく、共感を得られると思う仲間内だけで使ったほうが良いうんちくで、得意げに人前で使うようなものでない気がしてならない。
シャツは下着云々はもはや過去の記憶として、シャツを「見られるもの」としてスマートに着こなすことがどういうことだろうか。ただジャケットを脱いでタイをやめただけではやっぱり残念な姿になってしまう。

ファッションに限らず、引き算の哲学は難しい。
完成されたと考えられているものからあるものを取り除いたとき、その行為が全体をぶち壊してしまうことがある。ある人にとってどうでも良い引き算がほかの人にとって壊滅的な印象をもたらすこともある。シンプル・イズ・ザ・ベストというのは、それだけシンプルが難しいということの裏返しでもある。

日本ではもはや違和感なくあたりまえのスタイルであるビジネスシーンにおける半袖シャツだけれど、やはり肌の露出は控えるほうが清潔感がある。パンツ(スラックスorズボン)を半ズボンにしてオフィスに登場したらさすがにこの日本でも厳しい。すね毛があろうがなかろうが関係ない。シャツの半袖も似たような印象を持つ人もいる。
少なくとも職場の女子はオッサンの汚い腕を見たいと思っていないだろうから、袖を切り捨てて自分だけ涼しい顔をしているよりも、満員電車で人に肌で触れないように隠しておくほうがオッサンとしての礼儀ではないかと思えてならない。


僕はもともとは真夏でもジャケット着用、タイドアップ(ネクタイ使用)というスタイルが好きな人なのだけれど、さすがに暑苦しい日にお客様先にこの格好でいくと引かれることもあるし、そもそも僕が住んでいる東京は温暖湿潤気候(Cfa)と、スーツ発祥の地である英国の気候(Cfb)より一段暑い。
そういうわけで、歳も取ってきたし、世の中ジャケットないほうが主流だし、相手にも暑苦しい印象与えないし、無理して体に負荷かけることもないしで、最近はジャケットレスへの抵抗が薄れてきた。

そういうジャケットなしで一日を過ごすようになると、改めてシャツの重要度がわかってくる。色、襟の形、サイズ、生地、etc...

ジャケットを着ている場合、はっきり言ってシャツの重要度はネックサイズとカフス幅があっていて、裄丈に適度なゆとりがあれば、案外あとはどうでもよい。
(といっても、このサイズを合わせるのも大変だけど)

ところがジャケットを脱いでタイをやめた場合、どちらかというとボディサイズと襟の雰囲気が重要になり、裄丈は腕まくりによってどうでもよくなるし、カフス留めたとしてもジャケット用より数センチ短いほうがすっきりする。

僕は身長170cmで、裄丈は採寸で81cmくらいなのだけれど、洗濯で縮むことも想定し、シャツの裄丈は最低でも84cm、多くは85cm~86cmくらいで作製する。
このくらいで作るとカフスボタンを留めない限りはだらんと長く、親指の付け根くらいまでの長さがあるものの、カフス周りをきつめに作るので、ボタンを留めれば手首に固定され、手を自由自在に動かしてもカフスは動かない。立とうが座ろうが、カフスは手首をしっかり覆う。

本来の腕の長さより十分にシャツの袖丈が長いため、シャツ一枚での立ち姿だとひじのあたりにかなりしわが寄る。
これがジャケットを脱いだ時に意外と目立ち、どことなくサイズが合っていないようなだらしなさを感じてしまう。
裄丈を長めにするというのはジャケット着用を前提としたときには100%正解でも、ジャケットを脱いだ時はシャツのツウには理解されるかもしれないが、これはこれでサイズが大きく見えてスマートではない。

シャツ姿をすっきり見せるにはジャケット前提より2~3cm短めのほうがすっきりとして、僕の場合は裄丈82cmくらいがジャストっぽく感じる。
そもそもスーツを着ないシーズンは腕まくりをしていることも多く、ジャケット着ていないのだから袖が出るかくれるなんてことはなく、裄丈が短いことが目立つシーンは少ない。

ということで、裄丈一つとってみても、ジャケット着用のクラシックの教科書スタイルではいまいちしっくりこない、日本のクールビズなりのシャツ選びがあると思う。



そんな古典的な考えを持つ僕が、若かりし頃の自分にクラシックをベースに少し肩の力を抜いてアドバイスするならこんな感じになる。
以下、丁寧な文体で。


「シャツはサイズが命、選ぶなら小さいほうにしよう」

先日、とあるシャツ屋でクールビズ用にシャツを買うため採寸してもらいましたが、「37-81もしくは38-82のどちらでもよいと思います」と提案されました。

僕が迷わず購入したのは37-81です。

体形がBMIで標準に入る人であれば、二つから選ぶことを提案されたときは小さいほうがおおむね正解です。
「大は小を兼ねる」といいますが、ファッションの世界では兼ねればよいというものではなく、だらしなさを強調するだけです。靴もそうですがわざわざ採寸してそもそも着られないようなサイズを提案する店員さんはいません。

たいていの人は大きめのサイズに関しては許容度が高く、小さい方向の違和感を強く感じがちです。また、クリーニングに出す頻度やアイロンのかけ方によっても縮む度合いが異なってくるのでお客様に提案するときはワンサイズ大きめも提案してみるという気持ちはわかります。ただ、僕はこれまでシャツ屋さんで「このシャツは自宅で洗濯する予定ですか、それとも毎回クリーニングに出しますか?」みたいなことを聞かれたことが一度もありません。

どちらにしてもどうせクールビスではネクタイしませんし、腕もまくることが多いので、ネックサイズが少しきつくても問題ありませんし、裄丈もくるぶしに乗るくらいあれば心配ナシです。

BMIでやせ型に該当する場合でも小さめがおすすめです。
この体形であれば下手にバストやウエストが余るとより貧相に見えてしまいます。満員電車とかではエチケットでカフス留めておくとしても、それ以外では袖をまくることを前提にしましょう。
どうしても腕を隠す場合はパターンオーダーでボディサイズを極力コンパクトに、裄丈を適正サイズに持っていくのがベストです。

体形が標準よりかなり太めの人はどうしたらよいのか僕は自分の体験談を持ち合わせていないため、お店の人の採寸に従い、伸縮率をよく確かめたうえでサイズ決定が良いと思います。



「シャツの色は白がいいかも」

クールビズでは淡いブルーなども合うとは思うものの、素材によっては汗が目立ちます。

わきの下や背中、襟や胸部などどこであっても汗が目立つのは清潔感の真逆です。単純に汚らしい印象を与えてしまいます。

白はそんな汗シミも目立ちにくく、陽の光の下で映える色です。
まずどんな色のパンツ(ズボン)にも合いますし、暑い日も涼しい日もいつも清潔感をキープできます。洗濯機に漂白剤と一緒に入れて気にせず洗えるという衛生面でも優等生。
冠婚葬祭どこでも通用しますので無駄がありません。

このブログを見ている人であれば常識かもしれませんが、ボタンの色や糸が黒かったり、カフスや襟に余計な柄が入っているのは中学生のオシャレ意識っぽいので絶対に避けましょう。少なくとも大人の身だしなみとしては完全NGです。なので、そういうシャツを販売していないブランド・店舗でシャツを購入すると地雷を踏む確率が減ります。


「襟の形はワイドなほうがいい」

アンタイド(ノーネクタイ)の場合は襟は開き目なものが(おしゃれ上級者でない限り)似合うことが多いです。

ワイドカラーやそれ以上に広がったホリゾンタルカラーは、正面から見たときの襟の占める割合が減るため、アンタイドでもすっきりします。

ホリゾンタルカラーはジャケット着用の時は微妙な感じがしてならないのですが、アンタイドにした瞬間に流れるような襟のデザインが自然に見えて、ネクタイを必要としないデザインに感じます。

ちなみに、よくアンタイドの時はボタンダウンが良いみたいな話を聞きますが、ボタンダウンってビジネスシーンで格好よく着こなすのは至難の業です(僕にはそう思えます)。
安易にボタンダウンに走っても、パンツが細身だったり靴がクラシックだったりするとよほどのおしゃれ上級者でない限りセンスのなさが強調されるだけです。
ボタンダウンはやっぱりカジュアルでこそその本領を発揮します。おしゃれ上級ではない一般のビジネスパーソンが無理してビジネスシーンに持ち込むことはないデザインに思えます。

襟の素材はフラシ芯を使ったふわっとしたものがアンタイド向きです。安価なシャツに使われるトップフューズ芯だと襟がパリッとしすぎて、襟が主張しすぎてしまいネクタイが無いことを余計に目立たせてしまいます。襟が紙飛行機の羽根みたいな人がいますが、自然なロールのほうが夏向きに思えませんか。

この数年購入したシャツでは、鎌倉シャツのワイドカラーの芯地がいちばん好きです。土井シャツはロールがイマイチで僕のアイロン技術だと右襟と左襟でロールが均一になりません。5,000円クラスでかなり頑張っているカミチャニスタは、ブロードに使われている薄っぺらな硬い芯地はアンタイドでうまく着こなせる自信が僕にはありません。最近鎌倉シャツも接着芯を使ったフランチェーゼシリーズを出してきました。個人的には接着芯でもコストダウンに見せないどころかかえって値段を上げるための秘策としての襟型ではないかと勘繰ってしまいますが、デザイン自体はとてもよく、これをフラシ芯でふっくら作ってくれたら、ホリゾンタルいらずな感じです。


「素材はざっくりふわっとしたものがいい」

定番のブロードは生地が薄くてよい気もしますが、汗で張り付きやすくしわも目立ちます。なかなかシャツ初心者泣かせです。アイロンがけも結構難しい。
僕はアンダーウエアを着る人なので、直接背中や胸がべったりということはないものの、オクスフォード系やツイルといったやや厚手の生地のほうが汗も目立ちにくいし、かえって涼しい見た目にもなったりします。

薄手になればなるほど、肌がアンダーウエアが透けやすく、清潔感が減ってしまうというのは皮肉です。ピンポイントオクスフォードは一見暑苦しいですが、上記のようなべったりすることが少ないので、汚らしい印象を人に与えることは少ないです。


「気軽に洗えることが最優先」

100番手以上の繊細な生地になると取り扱いも注意が必要ですが、シャツは2シーズン持てばいいほうと割り切って、思い切って気にせず洗濯機でどんどん洗いましょう。クールビスのシャツスタイルは清潔感あってなんぼです。

よく「シャツの耐用年数は2年と法律で決まっている」と書いてある記事を見かけるので、それってどういう根拠で成り立っているか知りたくて根拠の条文を探そうにもなかなか見つかりません。1枚で考えるなら労働基準法的に週5回を2年間来たら500回着られることになります。工作機械やサーバ機とかなら24*365の連続運用を基準に考えているでしょうし、PCなら1日8時間×週40で考えてもよさそうとか何らかの目安がありそうですが、シャツの耐用年数の考え方はよくわかりません。単純に10着くらいのローテーションで2年くらい着たら結構みすぼらしくなるという感覚的な問題です。

なので、僕は最低でも5着、できれば10着でローテーションが良いと考えています。5着持っていても週1回程度着たら1年間で50回程度、2年で100回着用(つまりは100回洗濯)です。何とか10枚まで頑張ってそろえるのが清潔感への近道です。

いちいちクリーニングやら手洗いやらもよいですが、洗濯機でじゃぶじゃぶ洗って自分でアイロンかけるで十分です。
ニオイが気になるシーズンだからこそ、脱いだら間髪入れずに洗濯できる家庭での洗濯機洗いが楽です。
クリーニングでパリッとしたシャツは確かに格好良い。でも、素人感が出てもきちんとアイロンがけした感が出ていれば問題ないですし、僕はそういう人のほうが好印象です。

手を出せる価格には制限があるので、フラシ芯を使ったしっかりしたシャツを選ぶと枚数をたくさん揃えらないなんてこともあります。その場合は無理して高いシャツに走らず、迷わず安価なシャツでもよいのでまず数をそろえましょう。


ここまでいろいろ細かいことをこれまで書いていますが、「清潔」に勝る「清潔感」はありません。どんなおしゃれなきれいめシャツでも臭かったり襟の汚れが目立ったり、袖口がボロついていたりするのでは台無しです。

以前のブログでも書きましたが、僕は衣服を捨てるのが苦しい人なので極力長く使おうとしますが、シャツに関しては襟か袖がだめになったら諦めます。コットン100%で襟が柔らかいものは寝間着や作業着などに使うこともありますし、分解して布切れとして活用することもあります。
残念ながらビジネスシーンでのシャツは「経験変化による味」というものは評価されないので、ここは割り切ることにしています。

洗濯し、アイロンがきちんとかかっているシャツを着ている人に対して「あれは素材が悪い」とか「襟のロールが」とかいうのは一部のファッション意識高い系だけなので心配無用です。少なくとも清潔感あるシャツを着ている人を見下すような人は(ファッション業界の一部を除いて)出世していませんのであなたの評価者になることはありません。なので、成長を阻害する要因にはまったくもってなりえません。



ここからいつもの文体。

ということでシャツを選ぼうとすると、お店があって(採寸できて)、ある程度リーズナブルな価格で手に入るシャツがやっぱりいいなということになる。
一部の人を除き、ビジネスアイテムにかける現実的なお金は有限なので数をそろえる時期、質を優先して入れ替える時期と、それぞれのタイミングによって何を優先するかが変わる。

若いうちならまずは数が勝負。
若さと快活さがあればちょっとくらいシャツが安っぽく見えても大丈夫。袖口や襟がきれいなシャツならば上司からも同期の異性からも高評価は間違いない。ボーナス出たらある程度追加するとか、毎月少しずつ積み立てて、2、3か月に1枚追加みたいな感じを1年続けるといった工夫でワードローブを充実させよう。

ビジネスでの経験や、責任ある役割になるにつれ身だしなみも一つの戦略的ツールとなるシーンがあることを理解する必要も出てくる。シャツの選択も、素材や形などが「ちゃんとしている」ものが必要になってくる。間違ってもボタンホールの縫い糸が違うものなんて着てはいけなくなる。
このころになるとシャツも着なれてきているのでサイズ感や職場の雰囲気に合わせてパターンオーダーするのもおすすめ。


「外見ではなく中身で勝負だ!」
と息巻く人の多くが外見についての知識はほとんどなく、中身も大して磨いていないということもある。ほとんどのビジネスパーソンにとってファッションは目的ではないが、ビジネス上の目的を達成する手段の一つでもある。期待される役割、モノの持つ価値や意味を考えることを放棄した人には手に入れらないないものがある。

たかがシャツ、ではあるがビジネスシーンで最初に目に入るのもシャツ。
されどシャツ、なのである。


スーツを語る人はたくさんいる。
でも、シャツにこだわってみるのも格好いい。

--------

洗たくの時に襟、袖にこれを使うと結構きれいになります。
クールビズのシャツスタイルには必須かも

2020年4月3日金曜日

4年経過 Boot Black と M.MOWBRAY 比較

Boot Black と M.MOWBRAY の比較も4年が経過した。

当初はクリームを塗った直後のツヤ以外にはあまり違いがないと思っていたが、4年たって決定的な差が出てしまった。

光が強めにあたっているところでは気づきにくいのだけれど、
M.MOWBRAYでお手入れしていた右足にクラックが入っている。

この差がクリームによるものなのか、それとも僕のお手入れ技術によるものなのか、歩き方の癖によるものなのか、たまたま素材に問題があったのか。
いろいろ考えるところはあるけれど、意外と目立つところに決定的なクラックが入ってしまった。
太陽光の下で見てみると結構目立つ。

塗比べをしているショーンハイトは、晴れの日も雨の日もあまり気にせず履いていて、時にずぶぬれになることもあった。お世辞にも丁寧に扱っていたとは言い難い。

とはいえ、最低限のクリームやブラッシングをしていたので、他の靴ではあまり見られない場所に4年ほどでクラックが入ったのは意外だった。
気が付いたら傷ついていたので、ひょっとすると別の理由で傷が入ってしまっただけかもしれないが、この場所を強打したりかすったりするようなことは記憶にないし、この向きに傷が入りやすいこともしていないと思う。

クリームを塗った直後の表面の感じや、クリームを落とした時の顔料の落ち方とかを見ると、Boot Blackのほうが革に負担が大きいと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。


伝統的な技術に基づくクリームと、日本の工業製品として研究開発に基づいて作られたクリームは、どうやら後者のほうが僕にとっては安心できそうだ。
たまたま僕の扱い方によるのかもしれないけれど、だとしても少なくとも僕の塗り方やその量、間隔とか、靴の扱い方においてはBoot Blackのほうが合っているのかもしれない。

4年にわたって比べてきたBoot BlackとM.BOWBRAYについてはいったんここで終了としたい。
クラックが入ってしまったのは残念だが、それもまた靴の表情でもあるので、この靴とは今後は自然なお手入れで付き合っていきたい。

----

ということで、コレを使い続けることにしました。

2019年12月15日日曜日

土井縫工所のシャツ - DOIHOKOSHO -

土井縫工所のシャツ、通称「土井シャツ」はここ10年近く僕の定番シャツ。


それ以前はメーカーズシャツ鎌倉、通称鎌倉シャツをよく着ていたのだけれど、よりコンパクトかつかっちりして、既製では袖丈の長さなどディテール全体が土井シャツのほうが自分に合っている気がしているので、以来土井シャツ派だった。


その土井シャツのホームページが消費税増税に合わせて(?)この10月にリニューアルされた。

僕にとって衝撃的だったのが、
  • Entry Line の廃止に伴う(僕にとって)実質大幅値上げ
  • スプリットヨークの廃止を含むディテールの変更
  • バッグの廃止
あたり。



今年の冬はシャツを何枚か新調しようと思っていて、ちょうどロイヤルカリビアンコットンの評判が良いのでトライしようとしていた。そんな中での Entry Line 廃止。

僕のなかでの土井シャツの位置づけはもともと「お値ごろでありながら(僕にとっては)抜群に良い」というものだったが、繰り返される値上げでもはや「お値段それ相応」なシャツになってしまった。

価格改定というのはそこで働く人たちの雇用、福利厚生や賃金などに反映されるので、良いものを永く続けていくためには仕方ないところもある。

そもそも経済学の原則を無視した最低賃金改定が連発されるなかで、販売単価を変えずに製品を一定の品質で維持していくというのはなかなか大変なのだろう。
実際僕が働く会社でも原価の上昇を企業努力で抑えるのには限界があり、同じサービスを提供する価格を少しずつ(時には大胆に)値上げしている。


ただ、さすがにこの10年で倍近く、今回はこれまで高品質の定義のひとつとして謳っていた「スプリットヨーク」の廃止など、土井シャツにおけるシャツづくりの矜持を疑ってしまうような改定はちょっといかがなものかと思ってしまう。

よほどパターンの見直しなどで改善されていない限り、これまで「ドレスシャツのあるべき姿」としていたものの廃止は「このフィット感を更に高めるために」としていたことの取りやめなので、フィット感は確実に悪くなっているはずである。

もっとも国内外、高品質を謳うシャツメーカーでもスプリットヨークを採用していないことは意外とあるのでそれ自体を騒ぎ立てるほどのものでもないかもしれない。

なので割り切ってしまえばどうでもよいことでだけれど、なんというか梯子を外された感が否めない。よく見ると前立ての一番下のボタンホールの扱いが変わっていたり、明らかにダウングレード。


と、いろいろ書いてしまったけれど、いまでも土井シャツは良いシャツの代表グループ入りしていることは間違いなく、今回のリニューアル(値上げ)がシャツづくりの技能伝承も含め、職人さんの地位・待遇向上につながることを願ってやまない。



で、今回リニューアル後に土井シャツを購入したのでちょっと感想を書いてみる。

購入したスペック
  • ワイド(従来のセミワイド相当)
  • ダーツモデル38をベースに次を調整
  • 裄丈85(従来同様)
  • カフス回り23(従来同様)
  • 着丈80(従来+1cm)
  • 袖型スリム
  • ウエスト88cm(従来-2cm)

今回のリニューアルはパターンの変更も入っていて、いわゆる背中にダーツが入ったスリム系のサイズガイドを見てみると、いかに土井シャツがスリムを目指しているかがわかる。
バストからウエストにかけてのカーブはほかのシャツよりも明らかにシャープなラインに仕上げられていて、デフォルト指定だとかなり逆三角形な体系でないと腹周りが協調されてしまうシャツになる。

実際、身長170cm、体重60kgでかつオッサンの僕は88cmで作ってみたけど、あと2cm細いデフォルトだと少し腹が目立つつくりになってしまいそうだ。

裄丈は少し長めにしている。ジャケット前提のサイズなのでこのくらいの長さが欲しい。購入してから気づいたけど、時計をしない僕はカフス回りはあと5mmくらい小さくてもよかった。

「シャツは下着」という原理主義的な場合は裄丈はやはり長めのほうが良いけれど、高温多湿の日本ではジャケットを脱ぐことも多い。ジャケットを着ない前提ならば、シャツの裄丈は「シャツは下着の教科書」で説明されている長さより(身長170cm前後なら)2cm短いくらいがちょうどよいと思う。
あながち土井シャツのデフォルトである38/82は170cm前後の身長の人にはジャケットを脱いだ時に違和感が少ないサイズかもしれない。

余談になるけど、僕も30代半ばまでこの「シャツは下着」原理者だったのでシャツは素肌に着ていた。ただこの場合、シャツを下着扱いしている以上、ジャケットは脱いではいけないという事実を理解していない中途半端な行動だった。暑いからと言ってパンツ(いわゆる「ズボン」)を脱いだらヘンタイなのとおなじで、シャツを下着と言いながらジャケットを脱いで乳首が透けている恥ずかしさに気づいてからは、原理主義者から何と言われようとシャツの下にアンダーウエア(平たく言うとTシャツ)を着るようになった。


土井シャツはもともとつくりはとても丁寧で、しかも長持ちする。
最近の生地はわからないものの、いわゆる「敷島綿布」時代の生地は圧倒的に質が良くて、数年着てもそうそうへたらず、襟を修理すればまだまだいけるんでないの、という状態。

ある程度ヘビーユースを前提に作られている生地だとは推察するも、生地の作り一つとっても日本の製品はよいことがわかる。

ボタン付けや細かい運針などに日本人の丁寧な仕事が見られる。

ちなみに、以前の(リニューアル前の)土井シャツの仕上げは細かいところまで素晴らしかった。


今回のリニューアル後のものを着てみた限り、大きな着心地の変化は感じられなかった。

値段上がってディテール簡素化なので世でいうコストパフォーマンスは大幅に低下しているものの、着心地は劇的に変わっているようなところはなかった。
冒頭のスペックの土井シャツと、ネックサイズ37を基準にちょっと調整した鎌倉シャツの Made to Measure とで比較すると、やっぱり土井シャツのほうが着心地が良い感じがする。(鎌倉シャツは少し攻めて作ったからかもしれないけど)

なぜか省略しても機能的にはほとんど変わらない(と思われる)ガゼットはそのまま継続されていたりするので、ひょっとすると何らかのポリシーをもって不必要と思われる部分をカットしながらコスト増を抑えようとしているのかもしれない。
フラシと思われる芯地や裏前立てのステッチなど地味な部分は継続されていたりする。

中国製造のカミチャニスタあたりと比べると、ミシン縫いの丁寧さや糸のほつれの少なさなど圧倒的に品質が上であることがわかる。



最も安価なシャツで1万円なので、これだと鎌倉シャツのパターンオーダーとガチンコ勝負になる。ディテール部分にもあまり差がなくなってくる。
逆に1万円以下はカミチャニスタ、アザブザカスタムなど通販で手に入るものだとか、コルテーゼのような店舗+ネットみたいなこれまた激戦区なわけで、シャツ界隈も結構にぎやかになっているように見える。

サイズに不安があれば、東京と大阪なら阪急MEN'Sでオーダーできる。
鎌倉シャツの Made to Measure した人なら、基準ネックサイズを1cm上げて首回り0.5cm減らすと近いかも。僕は土井シャツは38/85で作っているが、鎌倉シャツは37/84でネックだけ+0.5cmしている。

シャツは靴よりも許容範囲が大きいものの、とはいえ合うサイズが見つかるまでには試行錯誤になることもあるので、無駄を減らすにはやっぱり実店舗が安心かと。
どうしても近くに店舗がない場合は、勉強代覚悟でサイズ表見ながら既存シャツとの比較して1枚だけトライとか。



靴、タイ、シャツが決まっていればトータルでの印象がよくなると言われている。自分に似合うものを現実的な世界で見つけるには時間がかかるだろうし、なかなか見つからないかもしれない。
けれど、それを見つけようとする意志に価値がある。